こんにちは、てくてくです。
今日は、京都府南部山城盆地にあった巨椋池の、干拓と水害対策の重要な役割を果たす巨椋池排水機場のお話しを少しご紹介させていただきます。
巨椋池ざっくり紹介
古くは弥生時代に遡る遺跡が有り、街道・水運の要衝として重要な土地です。
安土桃山時代には、豊臣秀吉により宇治川の流れから分離され、堤防(太閤堤)が整備されます。
その後、大池と呼ばれていた巨椋池は、明治39年宇治川の付け替え工事の為に完全に河川と分離され、水質を悪化させていきます。
池の水位低下、漁獲量減少、度重なる水害とマラリア発生。
この為水面面積800haの巨椋池を干拓することに。
昭和18年着工、16年に完成しました。
この干拓は埋め立てではなく、水を排水する事によるもので、ポンプが停止してしまうと池に戻ってしまいます。
戦後の食料難を支えてきたこの農地は、美田と淀大根、淀苗等が有名です。
巨椋池排水機場へ
国道1号線から東一口(ひがしいもあらい)橋南側を西に折れる。
難読な漢字で有名ですね。
川に沿って歩くと、流れの先に排水機場の屋根が見えてきました。
瓦葺の城門風建築で、すぐ近くにある歴史的に重要な旧山田家住宅等の景観にも配慮された、立派な建物です。
前川橋の北に大池神社、南に旧山田家が有り、国道1号線からずっと桜並木が続きます。
春の桜まつりの頃は大変美しく、「京都の自然200選」にも選ばれている排水幹線水路(前川)です。
7月に訪れた為、青々と茂る葉桜でしたが、川面を見ながら下流の西へ。
前日の雨のせいか水位が高い。
程なく青い樋門が見えてきた。
鉄塔があるので、排水機場が残念な写り方をした写真しか撮れていなかったのですが、格好いい建物です。
私が方向音痴である事を事前に知らせていた為に、心配して迎えに来て下さっていました。
不審者宜しくウロついていたので、本当に助かりました。
近くまで来てやっと言われていた意味が解りました。
門の上が道路になっているのですね。
もと来た道を振り返ってみます。
見えているのは池の底だった所。
そして排水機場の自然排水路と吸水路。
かなり大きいです。
この日は、3日後の試運転の為に水をせき止めていたので、いつもより水量が多かったそうで、雨のせいだけではなかったみたい。
巨椋池まるごと格納庫
門を開けていただき、排水機場に入ってすぐの建物に案内してもらいました。
“巨椋池まるごと格納庫”とあります。
平屋の建物で、巨椋池を取り巻く市町のジオラマを見ながら、歴史・文化・水害・周辺の移り変わり・役割等を、解りやすく様々な角度から展示されています。
この建物に入る前に通った広場が旧排水機場の跡地で、当時のポンプが置いてあるので後程見学する事に。
現在の建物は二代目なのですね。
南には国土交通省(当時は建設省)の久御山排水機場が有ります。
高低差がある為、上・中・下段と流域を分けて排水されており、さらに上段部に川が流れている複雑な地形。
サイホンが3ヶ所も。
ジオラマのライトを点灯させるのも面白かったです。
巨椋池排水機場
周辺地域の地形や歴史、役割等をお聞きし、いよいよ排水機場へ。
周りが開けているせいか、近くで見ると思ったより高い建物です。
白いせいかなぁ?
上履きに履き替えて二階へ。
天井の高い広い部屋には原動機と減速機が5台。
足元の防護蓋(グレーチング?)から見えるポンプは本当に巨大で、地下2階迄続いているそうです。
普段の水位は低く、水が入らない構造ではありますが、1953(昭和28)年の台風13号による宇治川の堤防決壊時の浸水を教訓に、原動機室自体が当時の最高水位よりも高い位置に造られています。
窓からは遠くまで見渡せ、集落と行き交う車に排水機場との距離の近さを感じる。
その為防音にも配慮されており、防音パネルをはじめ、常時用ポンプは低騒音・低振動の原動機(モーター式)となっています。
模型を動かしてシャフトの動きも説明していただきました。
手入れの行き届いた綺麗な建屋内の原動機等の写真は、セキュリティの問題もあるでしょうから、頂いた資料から一部だけ載せさせて頂きます(別に秘密はないけど、と仰っていましたが)。
巨大な機械も格好いいですね。
この後地下の排水ポンプを見せていただき、さらにモニター室へ。
水位計やカメラなど、細やかな情報で運転されています。
監視用のモニターを見て納得。
とても綺麗に周辺状況が見えます。
一つお約束をしてお暇する事に。
旧排水機
建物を出て広場へ。
巨椋池の植生の再現された一画に蓮の花が咲いていました。
往時の観蓮の風景が目に浮かびます。
失われた固有種の、埋もれていた種子等による品種再現が進めばいいのですけれど…。
旧排水機場に有ったポンプが残されています。
2005(平成17)年、新排水機場に役目を引き継いだ為、旧ポンプを一部展示する事に。
このポンプは、昭和9年に設置された10台のうちの1台で、建設当時の姿をそのまま残しています。
ポンプと樋門の間に有る丸いコンクリート製の腰掛は、旧排水機場の排水樋管をくり抜いて造られたものです。
堤防からの眺め
排水樋門を見る為に裏口から出していただきました。
この日は天ヶ瀬ダムの放水の為、普段より40㎝も宇治川の水位が高いそうで、足場に気を付けて少しだけ、遠くから見る事に。
堤防に登り北の伏見方面、巨椋池排水機場、南の久御山方面と右側に見える茶色の壁の大きな建物が久御山排水機場です。
対岸は伏見区の淀辺りかな?
門には巨椋池排水樋門とあります。
南側、この先の淀川(宇治川)下流が三川合流地点、桜の名所の八幡市背割り堤になります(宇治川・木津川・桂川の合流)。
先程教えて頂いたのですが、川は下流に向かって右岸・左岸と言うのだそうです。
もしかして常識か?
木津川は北に向かって流れているので(南部でもさらに南の方では)、変に感じてしまいます。
堤防を下り、帰路に。
排水機場の裏からの佇まい。
樋門の上を渡り、前川を挟んで建物の正面へ。
お約束通りに、馬鹿みたいに手をブンブン振ってみましたが、モニター画面に映っていましたでしょうか?
本当にお世話になりました。
頭を下げていると、通りがかりの地元の人に、不審な目で見られてしまいましたが、また是非訪れたい場所です。
お話と資料より
- 巨椋池排水機場の出来るまで
1913(大正2)年 巨椋池干拓期成同盟会発足
1928(昭和3)年 京都府から国営施行を申請
1933(昭和8)年 国内第一号の国営干拓事業が着工
1941(昭和16)年 完成
2005(平成17)年 新しい巨椋池排水機場が完成(築造60年以上の経過による機能低下、土地利用や降水量の増加による湛水防止の為、全面改修)
- 近年の主な水害
1953(昭和28)年 台風13号による宇治川堤防の決壊
1965(昭和40)年 台風24号による浸水
1986(昭和61)年 豪雨による湛水(たんすい)被害
- 排水能力の変遷
1943(昭和9)年 巨椋池干拓工事に伴い巨椋池排水機場を建設<ポンプ台数10台>
1940(昭和15)年 京都飛行場の開設に伴いポンプ2台増設<ポンプ台数12台>
1954(昭和29)年 計画雨量の増加及び淀川水位の上昇に伴いポンプ台増設<ポンプ台数13台>
1971(昭和46)年 向島ニュータウン建設に伴いポンプ5台更新<ポンプ台数13台>
1978(昭和53)年 向島ニュータウン建設に伴う補償としてポンプ1台更新<ポンプ台数13台>
建設当初の排水能力 31.74㎥/s
1978年には48.93㎥/sに
2005(平成17)年 新しい巨椋池排水機場が完成
常時用排水ポンプ2台(モーター式・可動翼・翼角調整により2.0~8.0㎥/sの排水量対応が可能)
洪水用排水ポンプ3台(ディーゼル・固定翼・回転数制御により10.6~21.3㎥/sの排水量対応が可能)
新しい巨椋池排水機場は、旧排水機場の1.8倍にあたる80㎥/sの排水能力をもち、25mプールの水を約6秒で排水出来る。
- サイホン
大内サイホン・中内サイホン・観世サイホン
- 排水システム
流域を高低差により上・中・下段の3分割
常時には上・中段の排水を淀川へ自然排水し、下段のみ機械排水。
洪水時には自然排水路が閉じられ、吸水路からの排水になります。
- お話を聞いて
京都府南部を歩いていると、必ずと言ってもいいほど洪水の話を耳にします。
特にこの巨椋池の周辺はすり鉢状に土地が低く、雨水が溜まりやすい場所でもあり、排水機場の役割が大きいのは言うまでもありません。
知人の話では、子供の頃の小学校の宿題に「家に帰ったら一人蚊を5匹捕る事」というものが有ったそうですが、蚊が多くて食事どころではなかったそうです。
また、この地域では蚊の媒介によるマラリアの為の、病封じの祭りがあります。
水害を知る方々から、巨椋池排水機場の見学を薦めて頂いていたのですが、訪れてみると更なる謎(?)が。
一つ一つ辿っていく事が出来たらと思っています。
突然に近い訪問に、お忙しい中大変丁寧に説明をして下さった巨椋池排水機場の皆様、本当にありがとうございました。
この地域に住む知人と共に、また訪れたいと思います。
アクセス
- 場所 京都市伏見区向島下五反田
TEL 075-633-5555
巨椋池排水機場管理協議会
京阪宇治交通バス 「まちの駅イオン久御山店前」にて下車。
東一口迄徒歩(レンタサイクルが近くにあるそうですが)。
事前にお願いしておけば見学に応じて下さいますが、試運転の日があるので、確認して下さいね。
今回は一号線を北に進み、前川の南側沿いを西に進むルートをとりました。